静岡県浜松市はなぜ楽器の街になった?ブラタモリ(1月25日)

今回のブラタモリでは楽器の街と言われる静岡県浜松市を特集します。

楽器の街になった理由を5つのステップで探ります。

家康がこの場所に町をつくった理由や初の国産ピアノが作られた秘密など、興味深い内容です。

そこで、なぜ浜松市が楽器の街になったのか調べてみました。

浜松市が「楽器の街」と呼ばれる理由は?

 

多数の楽器関連企業がある

 

静岡県浜松市は、ヤマハ・カワイ・ローランドなど世界に誇る楽器メーカーが多数ある街。

200社以上の楽器関連企業が集まっています。

ピアノ・電子ピアノ・電子オルガン・ギター・管楽器・ハーモニカなど、たくさんの楽器が浜松市で生産されています。

 

音楽文化を創造・発信

 

1981年(昭和56年)から浜松市は「音楽のまち」づくりに取り組んできました。

そしてアジアで初めて、世界で7都市目となるユネスコ(国際連合教育科学文化機関)創造都市ネットワークの音楽分野での加盟が認定されました。

世界を代表する音楽文化都市へと成長した浜松市。

内発的で魅力的な音楽文化を創造・発信する都市「音楽の都」へと、さらなる発展を目指しています。

 

音楽事業の開催

 

浜松市では世界的・全国的な音楽事業を開催しています。

 

浜松国際ピアノコンクール

 

・世界を目指している若いピアニストに日頃の研鑽の成果を披露する場の提供や

彼らの育成

・世界の音楽文化の振興

・国際交流の推進

 

上記を目的として3年ごとに開催しています。

 

静岡国際オペラコンクール

 

静岡県ゆかりのプリマドンナ「三浦環」をたたえて始まりました 。

1996年(平成8年)から3年ごとに回を重ね、2003年には国際音楽コンクール世界連盟加盟が実現。

現在は本コンクールの入賞者が世界各国の劇場で活躍しています。

 

浜松世界青少年合唱祭

 

世界各国から特に合唱を愛する優秀な青少年合唱団体を浜松に招き寄せて、

合唱を中心とした音楽をとおし市民や青少年との交流、国際友好親善を図る事業です。

 

浜松吹奏楽大会

 

日本を代表する吹奏楽のイベントのひとつ。

全国から選抜された高校16校の吹奏楽部が熱い演奏をくりひろげる「全日本高等学校選抜吹奏楽大会」をメインに、野外コンサート「プロムナードコンサート」や「全日本中学生・高校生管打楽器ソロコンテスト」から構成されています。

「日本高等学校選抜吹奏楽大会」は「吹奏楽の春の甲子園」と呼ばれるほど憧れの存在となっています。

 

充実した音楽環境

 

アクトシティ浜松 大ホール

 

2336の客席を持つ多彩な演出が可能なホール。

ありとあらゆる舞台芸術に対応できます。

 

アクトシティ浜松 中ホール

 

クラシック音楽の演奏を最高レベルで堪能するコンサート機能とコンベンション機能を融合させたホールです。

 

浜松市楽器博物館

 

日本初の公立楽器博物館です。

アジア最大級の規模を誇り世界の楽器1300点をテーマ別、地域別に展示

「みる・きく・ふれる」展示が好評です。

 

浜松市は他にも音楽人材育成や市民が楽しむ音楽イベントも盛んです。

まさに「音楽の都」ですね♪

 

浜松市ではじめに誕生した楽器メーカーは?

 

現在たくさんの楽器メーカーがある浜松市。

どんな歴史があるのでしょうか?

 

はじまりはオルガン修理から

 

1887年(明治20年)

楽器の街となったはじまりは市内の小学校のオルガン修理からでした。

足踏み式リードオルガンを修理したのは、日本楽器製造株式会社(現在のヤマハ)創業者、山葉寅楠(やまはとらくす)。

当時、医療器械の修理工であった山葉寅楠は、アメリカから輸入されていた高価なオルガンを手の届きやすい価格で販売できるようにしようと考えました。

そして修理がてら構造を模写しオルガン作りをはじめ

たのです。

1897年(明治30年)

日本楽器製造株式会社(現在のヤマハ)設立。

山葉寅楠のもとでピアノ作りをしていた河合小市(かわいこいち)が独自のピアノアクション(音を出す仕組み)を発明。

1900年(明治33年)

山葉寅楠が国産ピアノの第1号を完成。

1914年(大正3年)

日本楽器製造株式会社がハーモニカ生産を開始。

その後、卓上オルガン・木琴などの生産を始めます。

1927年(昭和2年)

河合小市(かわいこいち)が河合楽器研究所(現在の株式会社河合楽器製作所)を設立。

1952年(昭和27年)

鈴木楽器が創業。ハーモニカ制作に本格参入。

※現在では世界有数のハーモニカメーカー。

1965年(昭和40年)

ヤマハが管楽器の製造を開始。

2000年代

浜松周辺の管楽器生産量(フルート、サキソフォンなどの木管・トランペット、トロンボーンなどの金管)が全国割合の8割以上になります。

ピアノから始まった浜松の楽器産業が楽器全般に技術を広げていきました。

 

ヤマハとカワイの創業者

 

楽器の街となるきっかけになった、ふたりの楽器メーカー創業者。

あらためてどんな人物だったのでしょうか?

 

山葉寅楠(やまはとらくす)

1851年5月20日‐1916年8月8日

 

日本楽器製造株式会社(現在のヤマハ株式会社)の創業者。

日本の初期のオルガン製造者の一人で日本のピアノ製造業の創始者の一人でもあります。

父が紀州藩で天文係を務めていたこともあり、幼い頃から機械いじりが得意でした。

16歳頃には剣術修行に出て腕を磨きましたが職人の道を歩むことになります。

 

1871年 長崎で英国人のもと時計の修繕法を学びます。

その後大阪の医療器具店に勤め医療器具の修理工として働きました。

1884年 時計や医療器具以外にも機械器具全般の修理をするようになりました。

1887年 浜松尋常小学校(現在の浜松市立元城小学校)でアメリカ製オルガンの修理を手掛けたことから後にオルガン製造に成功します。

 

手先も器用なうえ剣術の腕もあったとは、いろいろな才能をお持ちだったのですね。

剣術の道に進んでいたら今のヤマハや「楽器の街」としての浜松市もなかったかもしれません。

浜松市にとって本当に貴重な方だったのですね。

 

河合小市(かわいこいち)

1886年1月5日‐1955年10月5日

車大工、谷吉の長男として誕生。

谷吉は浜松名物「凧の糸車」を発明考案した人物です。

小市の幼い時はわんぱくでした。

谷吉は30歳の若さで死亡。

父の仕事場で小市は模型馬車を作り上げました。

その器用さから山葉寅楠に弟子入りすることになります。

 

1897年 11歳の時に山葉風琴製造所(後の日本楽器・現在のヤマハ)に丁稚に入ります。

山葉寅楠からピアノ調律と製造技術を磨きました。

1900年 ピアノを国産化する際に大きな課題であったアクション(音を出す仕組み)を独学で完成させます。

1926年 日本楽器製造株式会社を退社。

1927年 河合楽器研究所(現在の株式会社河合楽器製作所)設立。

 

「完全な楽器を造るには完全な音楽原理を知らなければ」と自らオルガンをたたいて音の分析や音の持つ原理を突きつめました。

楽譜を見ればすぐに演奏できる腕前だったそうです。

「河合楽器のすべての楽器は、精神の音を出させよ。ひとつひとつの楽器には魂をこめておけ。その魂が楽器の生命となっていつまでも美しい魂の音を鳴らせるようにせよ。」という信念を持っていました。

 

幼い時にすでに才能を開花させていたのですね。

はやくから自分の好きなもの得意なものに出会い、その道をあゆみ続けられたことは幸せなことだと思います。

現代では何をしていいかわからないと言う人たちが多いですよね・・・。

 

音楽のまち浜松市口コミは?

https://twitter.com/JHT_tokaido/status/1005645755636436993

 

静岡県浜松市はなぜ楽器の街になった?まとめ

 

楽器の街から、さらなる発展をして今では「音楽の都」となった浜松市。

浜松市の音楽に対する情熱を知ることができました。

「吹奏楽の春の甲子園」と呼ばれる大会が浜松市で行われるのも納得ですね♪

音楽は人類の歴史においてもなくてはならない存在です。

音楽は元気をもらったり、交流が生まれたり、かけがえのないものを与えてくれる大切な存在。

今後も浜松市の発展に注目していきたいですね♪